地獄の返品女アザミ

思い出を食べて生きている

アドラー心理学のクソバカ

アドラー心理学って流行ってるの?
聞き齧った情報だと、なんだか随分とポジティブで良さそうな考え方だと思って本を読んでみた。


私は全くピンとこなかったね。

先ずは「課題の分離」の意味がわからん。
世の中は分離できる課題ばっかりじゃないんだよ。

どこからどこまでが課題なのかの線引きもわからない。
例えば我が子に勉強をさせる場合は、
① 勉強の大切さを教える
② 勉強しないとどうなるか教える
③ 勉強時間を決めてあげる
④ 勉強するように声をかける
⑤ 塾に通うお金を工面する
⑥ わからない問題を一緒に考える
どこまでが親の課題なのか?

勉強するかは子供の課題だから、子供が将来ルンペンになっても私には関係ないって感じでいいのかな。
多分なんにも言わないで放っておいたら、物凄く無学な世の中になると思うんだけど。


「育った環境で人生は決まらない」も意味不明だよね。
人生は育った環境で決まるだろ。
マニラのゴミ山で生まれた少女と、ドイツの医者の息子に同じチャンスが与えられてるとは思わない。
人生は生まれながらにして不公平なんだよ。
「全ての人間は対等」ではない。
対等にあるのは死だけだ。


「トラウマは存在しない」も意味不明
例えば私は父親が苦手だ。
子供の頃から下らないイジメばかりされていたからね。
アドラー的に言えば、それは「私が父親と接点を持ちたくないから、過去をダシにして自ら苦手意識を持っている」っていう事なんでしょう?
いや当然でしょ、接点持ったら面倒ごとに巻き込まれるのわかってるから苦手なんだよ。


アドラー的には、例えば親を喜ばせたいと勉強に励むのも、家族の為に身を削って働くのも間違いなんでしょう?
アホかよ、正解だよ。
誰かのために頑張って何が悪いんだよ。


「自分の幸せを追求するのが人生」というのは確かに賛成。
でも例えば、私が少年性愛者で子供を拉致監禁しており、家の裏庭の桜の木の下には以前大人になろうとした少年4人が埋まっていて、その木に毎日水をやるのが私の至高の幸せだとしたら、それを実行しても良いのだろうか。
誰にも見つからなければ、私はこのまま幸せに暮らせるとして。



私の上の弟カインは「アドラーを地でいく輩」だ。

カインは子供の頃から変わっていた。
カインには善悪という概念がなく、常に自分の都合のいいように考えて平気で嘘をつき、いつでも機嫌良さそうに口笛を吹いている。

現在カインは今大怪我をして手術のため入院しているんだけど、昨日も見舞いに行ったときに「え、別に大変なら来なければじゃん。好きで来てるくせに文句言われてもねえ。心配してくれなんて言ってないし。」と発言していた。

すごいアドラー的発想だよね。
こいつが人間の真理なのかと思うと腹がたつよ。



多分私は思想家があまり好きではないのだと思う。
自分で勝手に考える分には一向に構わないけれど、その考えこそが人間の真理だと決定づけるのはどうかと思うよ。
それって「人生とはどういうものか考える」という他人の課題に踏み込んでいる事にはならないのかね。


あとは大体どいつも考え方がちょっと気持ち悪いよね。
偏屈というか...だから何?というか。

フロイトとかは頭大丈夫かなって心配になるよ。



アザミは人生に真理なんかないと思う。

みんなある程度のルールの中で好きに生きればいいんじゃないかな。

避けようのない不幸の元に生まれてしまった人は残念だったね。
可哀想だけど来世に期待だね。


最近「アドラー心理学」のワードをよく見かけるので、流行乗ってみましたとさ。

それじゃ!